続・越後妻有の生き物たち~大地の芸術祭8
親しい人、大事な人の姿って、絶対に自分の視力じゃ見えるはずない遠くからでも判るって、どうしてだろ。試合でも、マイチームの選手はプレーとか佇まいだけでそれと判るよね。これって生き物としての人間固有の能力なんだろか?
津南足滝の霜鳥健二「記憶‐記録 足滝の人々」は3年前にかたどられた、集落全ての人々のシルエットだ。
足滝の集落には各軒先にこんなものも飾られていた。キングズレー・ング「風鈴」。家によって全て違う形の風鈴。その形、というのは、実は、手相。手のひらに刻まれた歴史を型取り、家の幸福を祈るんだって。
というわけで大地の芸術祭で見る生きものの記録第2弾。
あれ?これも生き物? 中里東田尻のおなじみ、クリス・マシューズ「かかしの庭」は今回も健在。
川西上野の内田繁「境界の神話」は道路端の細長い空間に作られた“牧場”。子供たちのために作られた遊び場だ。
真ん中のは津南マウンテンパークのゲオルギー・チャプカノフ「カモシカの家族」。農機具の部品から作られてるんだけど、けっこうリアルなので、草むらを歩いていてギョッとした。
右2つは十日町鍬柄沢の小川次郎+日本工業大学「マッドメン」 。セメントと現地の土で作られた“建物”。密集するマッドメン…G裏サポの琴線に触れますな。
左のは中里田代・七ツ釜公園のアン・グラハム「スネーク・パス」。140mの大蛇、の形をしたタイルの遊歩道。
真ん中のウサギと鳥人は川西ナカゴグリーンパークの藤原吉志子「レイチェル・カーソンに捧ぐ~4つの小さな物語」。これは多分芸術祭の第1回で初めて見た作品だったかも。あの頃は、こんなに芸術祭にハマるなんて思ってもみなかった。
右端のは中里芋川・清津川フレッシュパークの吉田明「エターナル」。ガラスタイルのモザイク絵や陶製の椅子がいくつも並んでいて、フシギなメルヘン空間が出現。大好きな立ち寄り温泉「ゆくら妻有」の裏手に広がる公園でいつでも見ることができる。
右手。両脚。両足。左手。山の中のバラバラな体。剣呑である。…なんてことではなく、これは川西節黒城跡のエステル・アルバルダネ「庭師の巨人」。右のは顔と頭だね。これ全部見るために草やぶをかきわけて山道をのぼったり降りたり。どれだけデカい巨人なんだよ!
同じ節黒城跡にはジョゼ・デ・ギマランイスの「詩人の瞑想の場」の詩人さんたちがいくつも散らばってるらしいんだけど、全部見きれなかったよー。
川西小白倉・運動公園の剣持和夫「白倉公園」。無数に“植えられた”写真たちの植物園。川西地区の過去から現在の写真が集められてる。自分が提供した写真を探すの、大変そう。
さて、なんともラブリーで健康的なこの男の子はカワじゃないよ。松代小荒戸渋海川沿いの関根哲男「帰ってきた赤ふん少年」。
前回もあったけど、バーナーで黒く焼かれて(not 日サロ)、浅黒い日焼け肌で登場。このように赤ふん少年たちがずらりと並ぶ空間は地域の人々に大事にされてるぽい。
それは、これとかこの写真を見るとよーくわかる。
作品があることでその地域の道などが整備されるというだけでなく、作品がその集落の“子供”みたいにされてんのかな。
さてと、この方は…一応スノーマンだから、この括りにしとくか。
松代城山のシモン・ビール「今を楽しめ」。6人家族の雪だるま in 冷蔵庫。
あ、そうそう、これも生き物。同じく松代城山の田中信太郎「○△□の塔と赤とんぼ」。第1回以来、ずっと松代の地を見守ってくれてます。
レポ・1、2、3、4、5、6、7、9
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